ラスボスおかんの後

あんにょん!
なんだか今日は遠くの山が白いような…見間違いでしょうか?
突然寒くなってきましたね。
今日は前回の母とのことの続きとその後のお話です。
あの怒りは遅すぎた反抗期だったんだ思います。
その時に初めて母にとっても依存的な自分に気づいたし、母を背負って生きていたんだと自覚しました。
父のことを経ていたので、私はファザコンでありマザコンだったと。
無意識のうちに両親が喜ぶことをして生きていたんですね。
常に親の目線で物事を考えてしまう。それだけ親を尊敬したり、愛していたし、親が喜んでいる姿を見たかったんだと思います。
だから愛で繋がれない父のことを忌み嫌い、理解してくれない母に怒りを無意識に持っていたのだと思います。
しかも何十年も!
師匠も言っておられましたが、親のために結婚して、自分のために離婚する。
まさに私はそれで、だからこそ結婚や離婚が自分のターニングポイントになったのかもしれません。
今となっては感謝ですね。
ここまできて気づけたことと、自分自身がこんなに親を喜ばせるために生きていたなんて、どれだけ両親への愛が深いことでしょう。
何より自分にはこんなに愛情が豊かにあることなんだと気づきました。
子供は無償の愛を親に持っていると改めて実感しました。
そう思うと同時に自分の子供たちも同じように私を愛しているのかもしれない、ということも気づいてとても愛おしい気持ちになりました。
もしお互いに愛しているとして、親は私に何て言うだろう?
子供たちは私になんと言いたいだろう?
私は、子供たちになんて思うだろう?
それは、「私が幸せになること」だ、と。
そうやって心からはじめて思うことができたのは、このラスボスがおかんだったと理解した後でした。
誰のことを背負わなくても、幸せになっていい。
私が私らしく、笑っていたら、周りも笑顔になる。
そう思えたのです。
きっと私だけでなくて、世界中のみんながそうですよね。
あなたが幸せになるだけで、周りが幸せになる。
よく聞く言葉ですが、身をもって理解しました。
反抗期の後1ヶ月後くらいでしょうか?母から連絡があって、そこは家族なのか、あんなに喧嘩したけどいつも通りに。
変化があったのは私の方で、前と比べてあまり母と連絡を取らなくなりました。
それまではほぼ毎日連絡を取っていましたが、今は週に1回だったり、なかったり、です。
私は長い間、両親の子供という視点からでしか物事を見られていなかったのだと思います。
だから両親から愛をもらうことばかり考えていたし、そのために親が喜ぶことを選択していたんだと思います。反面、愛をもらっていたことも気づけなかった。
愛されることばっかりおねだりしていた子供だったんでしょうね。
父を恨んでいたけど大好きだったこと、お母さんに怒りをぶちまけて、両親への愛が自分の中で大きかったこと、いろんなことを経て、相手の愛と自分の愛に気づけたことがよかったことです。
そして、私はもう、もらう側でなくて与えることができる側になれると思おうと思ったのです。
私は、大切な人に愛を与えることができる。
大人の階段今更登る感じです。
年末帰省する予定ですが、家族のためにおせちとお酒を用意しています。
不思議ですが、何かできる自分でいることは自信にもつながる気がしますね。
大したものではないですが、小さな恩返しと、愛という形で、これからも大切な人に与えられる人になりたいです。
それはお仕事でも、プライベートでも、そういう人でありたいと思います。
それではばいにょん。
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