察する文化の日本
こんにちは(^ ^)
今日は雨。なんだかジメジメです。
先日外国生活が長い知人(日本人)が、日本の察する文化が嫌いというのでそのことについて話したのですが、
彼女からみた日本人の多くは自分の気持ちを言葉にしないから合わないと感じるそう。
きっと日本って察する文化だからなのよねと言っていました。
それを聞いてとても共感し、実は私も苦手だったのよねと。笑
色々見ていくと面白いのは、ネガティブなことだけではなくてポジティブなことも察する文化なのですよね。
例えば近しい人への感謝や愛しているというのは恥ずかしいから察してほしいとか。
察してほしい時の裏側には羞という気持ちが意外と隠れているんですよね。
(これをいうと恥ずかしいから察してほしい、これを言うと嫌われそうだから察してほしい)
いろんな時代背景や文化があって察する能力は日本人は得意で、だからこそおもてなしができるのかもしれません。
しかしながら、この察して欲しい、察するという文化は時に生きにくさを感じるものだなと思います。
察することには長けていても、察してほしいことが具体的にどのようなことで、
本当はどうしてくれることを望んでいるのか言語化しましょう。
となっては途端に口をつぐんでしまいませんか?
実は察してほしいと願っていても、本人も何を察してほしいのか理解していなかったり、
本心と違う表向きの察してほしいを(羞の気持ちがあるから隠したいからややこしい)持っていたりします。
要するに、察するとは羞をかきたくないのですね。
それって本当に羞なんですかね?意外とそこにピュアな自分のかけらがあったりして。
察してほしいと思った時は、自分の心を丁寧にみてあげてみませんか?
何を察してほしいのか?なんで察してほしいのか?言葉で伝えるんならこんな感じかな?
自分の心の中で考えてみてくださいね。
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