質問のお返事
こんにちは!
2日連続ご質問をいただきありがとうございます。
今朝質問を読ませていただいて、今朝の通勤時間はずっと質問者さまのことを想像し、考えながら、遠くから思いを寄せる片思い中学生のような気持ちで今PCにむかっております(笑)
で、まず、思うのは、多感な時期に家庭環境が悪かったこと、そんなときにいじめ(言い方は嫌だとおっしゃっているのですが伝えやすいのでこのように言わせていただきますね)に遭うって、相当辛かったんじゃないかなって思うんです。
きっと、当時誰も相談する人もいなくて、孤独だったのではないかな?って。
いじめられることでさえも辛いのに、だれもわかってくれない孤独感というのは、こころをえぐられるような気持だったのではないかと思います。
それでもきっと強く在らねばと、自分を律し、大人になられたのではないかな?と文章だけではありますが勝手に感じ、よくがんばってきたね。辛かったね。と始めにお伝えしたいと思いました。
さて、思春期に家庭環境が悪ければ自分の居場所がないので自分の存在というものに疑いが出ますし、そういう時期にいじめにあえば、自分が「どこか欠けている、悪い部分があるからいじめられる」と自分のことを自分の尺度で決めつけ、思いこんだりしてしまいやすいです。
同時に他人の自分に対する反応を過剰に受け取ってしまうし、反応がネガティブだと全部自分が悪いと自分を責めてしまいます。
≫ノリ重視のメンバーがわーっと喋っているところに私が発言すると、なんかこう時が止まるというか。きょとんとされたり、考えるのがめんどくさいタイプはふーんと言って違う人に話しかけたりしています。
このように質問者さまからは見えている世界でも、実際は、たまたまタイミングが悪かっただけかもしれないし、きょとんとしているのも、たまたまそう見えただけかもしれないし、考えるのがめんどくさいタイプは考えるのめんどうな人ならば、誰に対してもふーんなのかもしれません。
トラウマになった経験から、相手の反応や気持ちをマイナスに妄想して気にしてしまうのも無理ないなと思います。
そこで、私はまだ傷ついているんだと感じたりもしました。とおっしゃっているので自分の傷をちゃんと見てあげられていて、気付いてらっしゃるのは素晴らしいことですよね。
≫子どもの頃私が禁止したのは「思春期の頃の優しくてちょっとシャイでマイペースなのんびり屋の私」
だったので、それが私らしさならいっそ今こそ貫いてもいいんじゃないか?と思うようになりました。
優しくてちょっとシャイなんてなんてかわいらしんでしょうか。
note(こちら)でも先日触れているのですが、古見さんはコミュ症です。という漫画の中に尾鶏さんという性格がのんびりしているおっとりさんが出てくるのですが、
質問者様に尾鶏さんを重ねてしまいます。(尾鶏さんかわいいし、本当に優しくて癒しなのですが、Twitterでもコメントみると皆さん一緒なんですよね)そんな尾鶏さんタイプの質問者さんを羨ましく思います。
自分で子供の頃禁止してしまった自分に気付いて、そんな私を迎えに行ってあげようと思うのは、質問者様のこころが受け入れるように大きくなったという成長の証ではないでしょうか?
今こそ貫いてもいいんじゃないかと思えるようになるなんて、陰ながらその気持ちを応援したいです(^^)
そして、いじめられた経験というのは、どこかで自分に無価値観(自分には愛される価値はない)を感じやすいですから、愛されるためにみんなの顔色をうかがいながら生活することが増えると思うんです。
だから、必要以上に空気を読んで、いい空気じゃなければいち早く気が付きますし、それを自分のせいだとも感じやすいです。
質問者さまのように、優しいのんびり屋さんいうのは、その性格がそういうことも人並み以上にできる才能があるので余計に自分を他人のために犠牲にして生きてきたのかもしれません。
≫相手に合わせてあげる思考するタイプの感情派
で損をされたこともあったかもしれませんが、質問者様の個性であり才能で、合わせてもらった方で救われた方も多いと私は思います。
自分を犠牲にできるくらい愛情深く慈悲と思いやりのある方なのだと思います
≫映画の感想を話したりなど感情ベースで話すので、実際にあったことを5倍速くらいで話す派とはお互い違和感を覚えてると思いますが、この招待も気になります。なんでこんなに嚙み合わないんだろう!?と思うと気になってしまいます。
この気持ちの正体は、ご自身でもお答えしている
「お互いに違和感を覚えてる」のところかな?と。
これは、言い換えると、「私は違和感を感じている」だと思うのです。
文章の中に唯一、嫌悪感を言葉にしている部分でした。気付いてらっしゃいましたか?
ここからは、想像ではありますが、質問者さまは、自分より他人のことを考えてきた方だと思うんです。
そういう優しい人というのは相手を嫌いになってはいけないとか、憎んではいけない、とか調和を重んじる方が多いので、NOを言うことを突き放すように感じて悪い気がして、苦手かもしれません。
だけど、きっと自分より5倍速で話す人に違和感を感じているということはそういう方が苦手なのではないかな?と思うんです。
苦手だと思うことを許してあげてほしいなと思ったのです。
想像ですので違っていたらごめんなさいね。
そういう違和感に気付けるというのはいい兆候なのではないでしょうか?
癒す方法が聞きたいとのことですが、もしカウンセリングだったら、個人的には中学生時代の家庭環境やいじめ時代のことをもう少し聞きたいかなと思いました。
師匠も言っていますがお恨み帳はご存じですか?
当時の気持ちをノートで解放してみたら、どんな気持ちがたくさん出てくるでしょうか?
悲しさでしょうか?悔しさでしょうか?それとも怒りでしょうか?
まだまだこのころの未消化の気持ちは多いと感じますか?
もし未消化な気持ちが多ければ、自分のエネルギーの何割かは、その未消化な気持ちにエネルギーを奪われている状態とも言えます。
自分に100%エネルギーを使えるようになれば自ずと、「優しくてちょっとシャイでマイペースなのんびり屋さん」に情熱をかけられると思いますので、向き合ってみてくださればと思います。
ちなみに、優しくてシャイなのんびり屋さんってどんなイメージですか?
周りの人や好きな芸能人に、イメージに似た人はいますか?
そういう人をイメージして想像して、心地いいなと思えれば、その人を眺めたりして、自分の潜在意識にどんどんインストールしてみてくださいね。
そして最後に、私は思うのですが、自分を抑えて生きていると、例えるならば、まずい飯を食べ慣れたせいで、おいしいごはんがわからなくなっている味覚音痴にみたいな状態になると思うんです。
なので、自分が好きなものを選択する訓練をされてみるのもいいと思います。
本当に好きなものだけを選ぶ練習。嫌いなものからは離れる練習。
食べ物でも意識すれば、随分いい訓練になりますよ。
あとは香りとか、五感にふれるものがわかりやすいと思います。
映画の感想を話したーとありましたので、もし映画がお好きなら、
好きな映画リスト30とか、いまいちだった映画リスト30とか、
好きと、嫌いに分けてみてもいいかもしれません。
これは好きだけを選ぶのではなくて嫌いを見ていくことも訓練だと思います。
嫌いな映画だからといって、その作品が好きな人もいるし、
自分の好きな映画も同じように、嫌いな人がいます。
どちらもあって良いもので、嫌いなものはスルーすればよいのですから。
そして好きと嫌いに共通点があったりすると新しい自分を知れるチャンスかもしれませんよ(^^)
もしよければ取り入れてみてくださいね。
ではでは!
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