推しという尊い神様
あんにょん!
今日は日記風ですが良かったら最後まで読んでくださいませ。
推しという言葉や沼とか、尊いとか自分には全く関係のない世界だと思っていたのはいつだろう?
アニメや漫画は大好きで、声優さんも好きだけど、一つのコンテンツに熱はそんなに続かないし、そもそも尊いとかの意味すら不明。
昔ヴィジュアル系バンドが大好きで、17歳くらいの私の世界の全てが彼らだったけど。それも成人する頃には落ち着いて、(というより好きなバンドはどんどん解散した)それ以来、そのような沼なんて出会うこともなかったのに。
ことの発端は今年の誕生日、幼なじみから送られた一通のLINEだった。
それは誕生日祝いを兼ねた地震の心配の連絡だったのだけど、彼女から連絡が来るのも2、3年ぶりだったと思う。
実家が目の前のその幼馴染と久しぶりにLINEで話をしたところ、彼女はここ数年2.5次元俳優にハマりまくったらしく、推し活に大変忙しいそう。
推している俳優さんの写真が送られてきたので見てみると、それは昔彼女と一緒に好きだったV系バンドのメンバーにそっくりだった。
好みは20年経っても変わらないのね。なんか楽しそうで羨ましいよ。と返信した。
2人で笑った後、彼女が私に言った。
「大丈夫!うちら、あんなにバンドに沼れる衝動を駆り立てられたんだから、運命の推しは向こうからやってくる!」
そう言われた2ヶ月後に本当に運命の推しが向こうからやってきたのは言うまでもない。
正直自分が推しに出会うまで、その情熱がどこからやってくるのか不思議でたまらなかった。
携帯のロック画面を推しにしたり、イベントに参加するために命かけたり、いろんなコンテンツに課金したり…
そこまでする情熱が私には理解できなかった。
だって、推しと言っても相手は他人だし、向こうはこっちなんて知らないじゃん?って。
そんなことを思っていた自分に一言申したい。
君もそうなるよ。と。
今の時代、YouTubeやSNSというものの発達で私が沼にはまるのは時間の問題だった。
出会いはアニメのOP曲を歌っていたのがきっかけ。この時ほど自分がオタクで良かったと思った日はないかもしれない。
だって、私の推しはヴィジュアルがまるで2次元なのですもの。
ある日、この人かっこいい!と、動画を追いかけてみていた時、動画が終わって暗転したiPadに映る自分の顔が満面の笑みだった。
部屋で一人きりなのに、こんなに私を笑顔にしてくれるんだ!って気づいてから、自分を受け入れるのは容易で…
そこからはあれよあれよと、過去の動画を漁り、音楽も聴いて、ありとあらゆるものを見て調べまくる。
その時間というものは見るたびに甘美な気分に浸らせてくれる、心を満たす瞬間だった。
推しとはきっと偶像崇拝なのだとやっとわかった。
だから推しは尊いのだと。
彼らの夢を私たちファンも一緒に背負っている。
彼らの成功や、彼らの笑顔が見られることが私の幸せ。
彼らの夢が叶うことが、私たちの喜び。
夢に向かってストイックに努力するその姿を見たら、推さずにはいられないのだから。
そして応援して一緒に夢を叶えるプロセスすらも一緒に経験できるような気さえする。
沼は深いのだ。
推しが現れてからというもの、毎日がこんなに楽しくていいのだろうかと思う。
心の世界でいうところの、自分が幸せになることを許す、の初めの一歩なのかもしれない。
正直推しのことを推している時は、何も考えないのだから。
自己否定も自己嫌悪も、自分責めも過去の罪悪感達も全てが無になる。
推しのkpop用語の意味も、意味不明な言葉だらけだったのが今では意味がわかる。
知らなかっら音楽やグループに出会えたのも推しのおかげ。
推しのおかげで友達もできた。
17歳の頃のようなワクワクドキドキを20年の時を経てまた体験できたのも推しと出会えたから。
こんなにも私の人生を豊かにしてくれる推しに感謝しかない。
推しがいる人いますか?男性でも女性でも。
そして推すものが物や作品、趣味だったりする人もいませんか?
夢中になれるその瞬間がたくさんあるのも一つのきっと才能なんですよ。
私も夢中になるものが過去マイノリティだったのでそういう部分を隠して生きてきましたが、最近は神様がくれたギフトだと思っています。
推しはあなたの中の尊い神様のようなものだから、他人の評価を気にしないで、自分だけが崇拝していればいいのだから。
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