人間関係はもともとフレキシブルなもの
こんにちは!
昨日は仙台でもめずらしい大雨だったそうですが、悲しいことにサロンが雨漏りしてしまい近日工事となりそうです。
不運ではありますが、大難を小難に、小難を無難にしてくれたのかも。
そんな風にいつも思うようにしているので、大事なものが水浸しにはならなかったので、まぁいいか。と思っております。
さて、今日はタイトルである人間関係のことを。
私は離婚したことがきっかけで心のことと向き合うことになったのですが、
離婚する頃、すごく自分を責めていたんです。
離婚でなくても、人と意思で離別するシチュエーションって皆さんあると思うんです。
・恋人と別れた
・婚約破棄した
・人と絶縁した
・人間関係がうまくいかずに退職した など。
最初はその人と、その場所で、理想の良い関係になれると信じていた。
その人たちと幸せな未来を願っていたのだけど、そうなれなくて別れることになった。
お別れという結果になるなんて最初は思いもしなかったのですから、
自分にどこか問題があったのではないか?
自分が我慢が足りないのではないか?
こんな結果になってしまって、相手や周りの人に申し訳ない。
そんな風に自分を責めてしまうものですよね。
離婚後の私もまさにその渦中にいて、自分を責めるのが日課のような癖になっていました。
離婚をきっかけに、もっと前の過去の人間関係で、良くならなかったことも全部自分のせいだと思っている自分がいました。
でも、今はこんな風に思うんです。
人生80年、人間関係って人生のライフステージでフレキシブルに変化していくものではないですか?
小学生から高校生で友達も変化します。
部活したり、バイトしたりすることで、出会う人がどんどん変わります。
社会人になると、同僚や先輩後輩、上司や部下。
結婚したら、配偶者の家族とも出会います。
子供が生まれたら、子供の親や学校の先生、地域の人とも出会います。
孫が生まれ、自分の親の介護や、自分が介護される側になったら…
人生のステージで、人との出会いってこんなにあるのですよね。
そして、それぞれの段階で、理由なく疎遠になった人、何人いるのでしょう?
きっとかなりの人数がいませんか?
なのに、どうして私のように離婚であったり、恋人や婚約者、職場の人など、親しかった人との別れだけそんなに自分を責めてしまうのでしょうね。
もちろん、それだけ思い入れがあることと、愛情の量に比例するものですが、
本来、人間関係ってとてもフレキシブルなものなのです。
ハーフの知人に私の離婚の話をしたらこんな風に言っていました。
日本大好きだけど、日本人は離別に対する認知が外国と違うから生きにくそうだと。
外国に住んでいた時、離婚を特別気にしてる人はいない、ステップファミリーも養子も当たり前で、誰も隠さないし、もっとオープンだった。
「私養子なのよね」とか「今日は新しいお父さんと前のお父さんと一緒に食事する」とか普通に会話していたと。
そこでタイトルの話を彼女としたのです。
人間関係は生きていれば必ず変化するもので不変的なものではないと。
だから、離婚って、気の合わなくなった人と疎遠になるように、人間関係が変わっただけよ。大丈夫、あなたが気にするほど特別な事じゃないわ。
というのが彼女が私に言ってくれたことでした。
その言葉に救われたなと思います。
親しい間柄になるほど、お付き合いも深くなるので、相互の歩み寄りが必要ですし、その過程で軋轢も生まれるでしょう。
致し方なく、人との別れを選択した時、自分のせいだと責める必要はなく、これから自分が大切にしたいものをちゃんと見てあげること。
それをその後の人間関係で大事にして、生かしていくこと。
それが一番大事なことだと今は思います。
終わった人間関係で自分を責めてしまいがちな方は、そんな風に思えると少し心が軽くなるかもしれませんよ。
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